宮川秀之は22歳だった1960年、故郷の前橋から、友人とともにバイクで世界一周の旅に出発した。
インド、パキスタン、ヨーロッパ各地を横断した後、オリンピックの年だった1960年ローマに到着し、そこで滞在を余儀なくされた。そこで、気分転換にと、日本の雑誌の特派員として訪れたトリノのモーターショーで、翌年1年間の日本留学を控えていた若い学生マリザ・ルイーザに出会った。
若い二人の出逢いは運命的で、すぐに彼らは結婚の意思を固める。1962年に結婚した後、秀之はジウジアーロとマントヴァーニと連携し、イタルデザインを立ち上げる。その間、彼とその家族は長年住み慣れたトリノを離れ、1992年トスカーナに移住し、ブリケッラファームを作った。
2003年、妻マリザは突然亡くなったが、彼女と秀之が作り上げたブリケッラファームは、今なお平和と国際的な共有のオアシスであり続けている。